飲み会が苦手な内向型HSPの主張

内向的・繊細・人見知りであり受動喫煙や飲み会が苦手な人間が、内向型の特徴である「あるべき理想への追求心」・「他人の痛みや弱さに共感できる気持ち」・「どんな相手にも信頼される誠実さ」・「常識の枠にとらわれない自由な発想」といった強みを活かして思ったことを主張するブログです。

希望しない部署に配属になった、その先

公務員試験のみならず就職の面接では「希望しない部署に配属になったらどうしますか?」という質問が出るといわれています。

この質問にどう答えればよいかはほかのサイトや就活対策の本に載っているので、そちらを見てもらうとして、これまで公務員や団体職員など公的機関を転々としてきたワタシが入庁後どうだったのかを簡単にお話ししようと思います。

結論から言うと、その役所や団体への志望動機に合った部署・業務に就いたことは(職種が決まっていた非正規職員での採用を除いて)ありません。

とある公的機関では、慌ただしく仕事をしながら「大学にまで行かせてもらったのに、なんでこんな仕事をやらされているんだろう・・・」と思っており、その仕事を好きになることはないまま退職をすることになりました。

別の公的機関では、最初はきついと感じながら仕事をしていましたが、続けるうちにその業務にやりがいを見つけることができました。その後異動により本来の志望動機に近い仕事をすることになったら、適性に合わなかったのか、うまくいかないことが立て続きに起こり、自信もやる気も失っていきました。

このような経験から、最初の配属が希望と合わなかったとしてもすぐに落ち込む必要はないと言えます。

ただし、一通り仕事をしてみてプラスの感情を抱くことができない業務を今後何年もやり続けなければならないというような状況だとしたら、ほかの道に進むことを本格的に考えてみた方がよいとワタシは思います(仮にその道に進めない結果になったとしても、やればよかったという後悔はせずにすみます)。

 

内向型が抱える問題の「解決」方法が見えた?

かつてテレビ朝日系列で2回ほど放送された「苦手だっていいじゃない。」という特番を見て、内向型(人見知りを含む?)の方が陥りやすい悲観的な状態の「解決」方法が見えた気がしました。

基本的に我々内向的な人は、飲み会のような人の集まりが大の苦手で、ストレス発散どころかさらにストレスが溜まり、そういう自分をさらに悲観してしまう一方、一人だけでは何も進展しないので悲観的な状態のままという傾向があると思います。

この番組は、「誰でも1つや2つ苦手なものってあるはず。そんな苦手を克服するのではなく『苦手だっていいじゃない!!周りが理解してあげるべきだ!!』と主張する討論型バラエティー」で、討論者は我々に近いと思われるタイプの芸人やタレントだったのですが、テレビ用のモードであったろうことを差し引いても、人見知りや内向的である討論者が他の番組では見られないイキイキとした雰囲気だったことから、

  1. 同じ悩み・問題を抱えるメンバーだけで集まる
  2. 自分がまさにそう感じていることを話のテーマにあらかじめ設定する
  3. (1.ともつながりますが)多数派とは違うその人の悩み・問題に賛同する

という形の場であれば、「解決」というとおこがましいですが、内向型が陥りやすい悲観的な状態が改善されるのではないか、と感じました。

自分のことを思い起こすと、私は自分から人の輪に入りに行くことはできず、飲み会や懇親会というようなところでは必ず輪から投げ出されて一人黙々と食べるだけなのですが、グループに分けられた中で決まったテーマや作業のやり方があるという条件があれば積極的に口を出すことができます。

自分が当てはまるから内向型全員に当てはまるとは言えませんが、この見立てはいい線行っているのではないでしょうか。

内向的な公務員・団体職員に適したカウンセラー

今の社会ですと、内向型やHSP(繊細・敏感・感受性が高い・傷つきやすい人)は、そうでない人に比べて仕事や生活に苦労・ストレスを抱えていることが多いです。

ストレスを解消・発散できればよいのですが、世間で言われている方法は外向型・非HSP向けばかりです。一人になれる場所で落ち着くことができればストレスはたまりませんが、すでに抱えたストレスが解消できるわけではないと感じています。

栓を抜くことができないお風呂に水を入れ続けるような状況ですから、内向型等はストレスがあふれメンタルヘルス不調になりやすい、ということになります。

ストレスによる精神疾患をなくすため、会社や役所ではメンタルヘルス講習やカウンセリング制度を置いており、私はこれまで複数の公的機関で採用され勤務してきましたが、大半でこのような制度がありました。

しかし、以前このブログで「相談できる場があってもそこがふさわしいとは限らない」という話をしたとおり、

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「しくじり先生」高橋名人の授業に学ぶ

5月28日放送の「しくじり先生高橋名人の授業を拝見しました。

 

www.tv-asahi.co.jp

 

何でも「はいはい」と受け入れ、ただの会社員なのに“名人”を名乗りしくじってしまった過去から何でも「はいはい」と聞いている人たちへ自分を見失い、しくじらないための教訓を教えてもらいました。 


と公式サイトのバックナンバーに書かれているとおり、会社に言われるがまま従うばかりでなく時には自分で考えよう、というような教訓を述べられました(これから録画を見る人がいることを想定し、一応表現は変えています。)。

最近の報道(していない新聞やテレビもあるそうですが)を見ると、官庁内でも上に言われるがまま従い、上が世間に知られたくないことをひた隠しにする手助けをしている人達がいるようです。

しかし当ブログでも「社会を悪化させる職務を遂行する義務 」で 書いたとおり、公的機関の職員は自分の信念を曲げてまで「国・都道府県・市町村を悪くする」ことに加担する職務を遂行する義務はなく、むしろ遂行してはいけない義務があると思われます。

 HSP気質を持つ繊細な職員であれば、そのような職務を遂行させられることに心を痛めていることでしょう。

経済産業省の若手職員で構成された「次官・若手プロジェクト」が作成した「不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」が「なんとかしないと日本ヤバい」感に満ち溢れた内容となっており、注目を集めているそうです。

nlab.itmedia.co.jp

 

「ヤバい」日本になるよう推し進めている奴らに加担していて本当に良いのですか?あなたはそんなことをするためにその仕事に就いたのですか?

そんなことをし続けてストレスで潰されてしまう前に、一度立ち止まって考えてみてほしいと思います。

他人を蹴落とすことが好まれる社会に対して

私が就職活動中、志望動機によく使っていたのが「自分たちの都合を押し付けるだけでなく、相手や社会とwin-winの関係になるような業務をしたい」といった内容です。

しかし、「win-winの関係」というのが好感触を得られないようです。

最近はそうでない考えも表に出つつありますが、キャリアコンサルタントの人から「会社はお金を稼がなければならないから」といったコメントを受けたように、「自己の目標達成のために他人を蹴落とす必要がある」社会が現状なのだと感じています。

その究極が、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」という日本国憲法の基本原理すら否定し、国家が国民を押さえつけるという、民主主義国ではありえない「憲法」に変えようとする動きではないでしょうか。

しかも、「天皇又は摂政及び国務大臣国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と現行憲法(第99条)で規定されているにもかかわらず、その動きを進めたがっている国務大臣国会議員・その他の公務員(地方議員など)が、です。

(ちなみに、選挙で選ばれた首長や議員の大半〔←裕福な家柄、権力者、経営者〕よりも、公務員試験で選ばれた一般の公務員〔→労働者・サラリーマン〕の方がよっぽど主権たる「国民」に近いのですが、国民に近いはずの一般の公務員は公務員法や自らの置かれた立場上、国民側に立って大きく主張・活動することができないのが残念です。)

このような社会に、争い事が苦手な人、内向的・誠実な人、繊細な人が耐えきれず苦労し続けるのは当然です。

でも、他人を蹴落とすことが好まれる社会に適応しなければならないのか、他人を蹴落とさなくてよい社会を見つける又はつくるのか、蹴落とさなくてはいけない社会からの避難所(オアシス)を求めるのか、・・・。

内向型に優しいと思われる基本原理を掲げた日本国憲法が施行されてちょうど70年となった今、この答えを一緒に探してみませんか?