飲み会が苦手な内向型HSPの主張

内向的・繊細・人見知りであり受動喫煙や飲み会が苦手な人間が、内向型の特徴である「あるべき理想への追求心」・「他人の痛みや弱さに共感できる気持ち」・「どんな相手にも信頼される誠実さ」・「常識の枠にとらわれない自由な発想」といった強みを活かして思ったことを主張するブログです。

他人を蹴落とすことが好まれる社会に対して

私が就職活動中、志望動機によく使っていたのが「自分たちの都合を押し付けるだけでなく、相手や社会とwin-winの関係になるような業務をしたい」といった内容です。

しかし、「win-winの関係」というのが好感触を得られないようです。

最近はそうでない考えも表に出つつありますが、キャリアコンサルタントの人から「会社はお金を稼がなければならないから」といったコメントを受けたように、「自己の目標達成のために他人を蹴落とす必要がある」社会が現状なのだと感じています。

その究極が、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」という日本国憲法の基本原理すら否定し、国家が国民を押さえつけるという、民主主義国ではありえない「憲法」に変えようとする動きではないでしょうか。

しかも、「天皇又は摂政及び国務大臣国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と現行憲法(第99条)で規定されているにもかかわらず、その動きを進めたがっている国務大臣国会議員・その他の公務員(地方議員など)が、です。

(ちなみに、選挙で選ばれた首長や議員の大半〔←裕福な家柄、権力者、経営者〕よりも、公務員試験で選ばれた一般の公務員〔→労働者・サラリーマン〕の方がよっぽど主権たる「国民」に近いのですが、国民に近いはずの一般の公務員は公務員法や自らの置かれた立場上、国民側に立って大きく主張・活動することができないのが残念です。)

このような社会に、争い事が苦手な人、内向的・誠実な人、繊細な人が耐えきれず苦労し続けるのは当然です。

でも、他人を蹴落とすことが好まれる社会に適応しなければならないのか、他人を蹴落とさなくてよい社会を見つける又はつくるのか、蹴落とさなくてはいけない社会からの避難所(オアシス)を求めるのか、・・・。

内向型に優しいと思われる基本原理を掲げた日本国憲法が施行されてちょうど70年となった今、この答えを一緒に探してみませんか?