飲み会が苦手な内向型HSPの主張

内向的・繊細・人見知りであり受動喫煙や飲み会が苦手な人間が、内向型の特徴である「あるべき理想への追求心」・「他人の痛みや弱さに共感できる気持ち」・「どんな相手にも信頼される誠実さ」・「常識の枠にとらわれない自由な発想」といった強みを活かして思ったことを主張するブログです。

職場外での業務が難しい公務員が在宅勤務になったら

COVID-19(新型コロナウイルス)の感染拡大を防止するため、省庁や自治体(都道府県庁・市町村役場)では交代制の勤務が進んでいるそうです。

出勤しない日は在宅勤務となるわけですが、テレワークの環境が不十分な役所がまだ多いでしょう(セキュリティ対策の方が重視され、情報は持ち出せず外からネットワークにつなげない)から、在宅でできる仕事などかなり限られているのではないでしょうか。

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そんな在宅勤務中にできる仕事がないという公務員の方にお勧めしたいのが、自己啓発です。

といっても、資格の勉強をするとか難しい資料を読むとかいうのではありません。

どの部署にいても必要となる役所の共通ルール(公用文の書き方、財務会計)や、現在担当している業務に関する法令・例規・要綱・マニュアルをじっくり読み学ぶ絶好の機会です。

職場で日々の業務に追われていると、目の前の業務をこなすのに精一杯で、根拠を理解しないままに進めてしまう、ということないですか?

根幹がわかっていないと、少し状況が違うだけで処理ができなくなったり、状況が違うのに以前と同じ処理をしてミスしてしまう、ということが起こり得ます。それを繰り返すと「仕事ができず迷惑な職員」という扱いを受け、ちょっとのミスでも大目玉を食らってしまいます。

逆に、上に挙げたルール・規定を理解し業務に活かすことができれば、上司や周りの職員からの印象が良くなり、少し怪しい処理をしても大目に見てくれることでしょう。

もう一度言います。

公務員で在宅での業務が難しい人にとって、在宅勤務の時間は、どの部署にいても必要となる役所の共通ルール(公用文の書き方、財務会計)や、現在担当している業務に関する法令・例規・要綱・マニュアルをじっくり読み学ぶ絶好の機会です。

業務に必要な知識を学ぶので職務専念義務に違反しませんし、これらには秘匿しないといけない情報が含まれていないため、印刷したりデータを持ち出したりすることは難しくないはずです。この時間を有効活用してはいかがでしょうか。

飲み会が苦手/内向型・HSPな人との公務員・行政・公共政策をテーマに集まりたい理由を述べてみる

このブログで何回か募集をかけてはすぐ消したりしたので、この心の揺れ動きを何となく感じた人がいるかもしれませんが、ここ最近「飲み会が苦手/内向型・HSPで公務員や行政・公共政策などに関わる人と語りたい」という思いが出たり消えたり、というのを繰り返しています。

というのも、まずはこのブログで最もアクセスされている記事が

で、「HSP 公務員」で検索されているようなのですが、自分が今まで公的機関や非営利団体に勤務していてもそれっぽい人は見かけなかったので、そういうお仲間と前向きな話がしてみたいから、というのがあります。 

また、「公務員1年目の教科書」(堤直規氏著・学陽書房)のSTEP4_09「勉強会をつくる・外に出てみる」を読んでゾクゾク・ワクワクという感情が湧き出してきたから、というのもあります。

公務員1年目の教科書

公務員1年目の教科書

 

最初に就職した某公共機関では、業務終了後に職員全員を集めて行う公式(?)な勉強会がたまに行われた(残業代は出ません)が、同じ部署の人達と関心のない業務(という狭い範囲)について積極的に学びたいという気持ちには一切ならず、飲み会と同様に欠席を繰り返していました。

そんな自分ですが、あれから十年以上経ち、職場の外で元々興味のあった行政や公共政策(という広い範囲)について学び合うのは楽しいと感じたのではないでしょうか。

でも、積極的に活動し(ようとし)ている公務員の方が企画した交流会や勉強会に参加したところ、

で述べたとおり散々な結果となったわけです。 

そもそも、外向的で飲み会が好きなタイプの人と、内向的で飲み会が苦手なタイプの人とか一緒に楽しく交流するのが無理難題であることは、子供の頃の学校生活を思い起こせば明らかであって、前者に牛耳られない集まりであれば実際無理なくいられることを経験しています。

であれば、飲み会が苦手または内向型・HSPの人で公務員や行政・公共政策に関わる人達との勉強や語らいの場があったらいいのではないか、と思ったのです。

(実現するかしないかはあなた次第です・・・)

飲み会が苦手な人だけの集まりでの飲酒はアリ?ナシ?

2019年末には「#飲み会スルー」が話題になるなど、最近は飲み会を断る人が増え、飲み会が苦手な人にとってこの点では少しずつ楽になってきていると思われます。

しかし、人と人とが交流・親睦を図るとき必ずと言っていいほど飲み会やアルコール中心の立食パーティになってしまう今の社会において、飲み会が苦手な人は、これに参加しても断っても、ストレスや疎外感を抱えてしまいます。

ですが、大人数と長くいると疲れ一人の時間が必要とされる内向型やHSPの人であっても、自分が無理なく・心地よくいられる場所・集団を求めているはずです(それがないままだと精神疾患になる?)。

ワタクシもそういう場所や集団を求めてネット検索したところ、飲み会が嫌いな人が集まって一緒に楽しもうという禁煙禁酒の会を見つけたのですが、その集まりに以前参加した人から飲酒を希望する意見がでているようなのです。

飲み会が苦手(嫌い)な理由として酒を飲んだ人の大声やハイテンションが苦手というのがかなり多くを占めると思ったのでビックリ!

イベント中は禁酒と書いてあるのに「飲みたい」と主張する人は、単に人が集まったコミュニティだから参加しただけで、飲み会が苦手な人ではないのではないかと思って、

と質問ツイートしたところ、投票数は少ない(さらに上2つの選択肢にテストで1票ずつ入れたので実質8票)ですが、ワタクシと同じく『「飲みたい」という意見が出ることが信じられない』という回答が半数を占める結果となりました。

一方、『飲み会は苦手・嫌いな人の集まりでも、酒は飲みたい』という回答が2割以上あったので、「酒を飲んだ人の大声やハイテンションが苦手」でない理由で飲み会が苦手なだけで、何人かで集まるなら酒を飲みたいという人もいるのかもしれません。

ワタクシは周りの人が少し飲酒をしてても喫煙と違って大丈夫ですが、酔っぱらってしまうと辛いので、「飲み会が苦手」という共通点で集まるのであればノンアルコールでお願いしたいです。

人が大勢いる場所に行った2019年の休日を振り返る

私の普段の休日の過ごし方は、自宅にいるか、自転車または徒歩で近所に出かけるかのどちらかです。いずれもだいたい一人で行動しています。

ですが2019年は、人が多く集まるイベントに参加したり、数人で遊びに出かけたりする日が(私にしては)多くありましたので、いくつか振り返ってみたいと思います。

 

まずは、夏にネットで見つけて応募したテレビ番組のクイズ企画に参加したのですが、

の記事でも少し触れたとおり、一般市民と対面する公務員経験者特有(?)のトラウマから、収録がスタートした瞬間急にテレビに映ることへの恐怖が 押し寄せてきたため、○×クイズで自分が思ったのとは逆に大多数が選んだ答えを選んであっけなく敗退。その後の収録を見学することなく即座に退散したのでした。

 

次は秋の季節になって、昔やっていた某クイズ番組風のクイズ大会に参加してきました。こちらはテレビや動画で放送されるわけではなく、不特定多数に身バレされる恐れはないため、全力で楽しむことができました。またチャレンジしたいと思っています。

ただ、周りは談笑しているクイズ大会の常連さんが多かったようですが、自分はチームで相談する場面でちょっと会話したぐらいでした。鼓膜が破れそうなほど大声が鳴り響く会場に圧倒され、イベントが終了したら速攻で会場を後にしたのでした。

 

その約2週間後、某サイトで募集されていたディスカッションに参加し、他の参加者が優秀すぎて力不足を痛感したものの、有意義な時間を過ごせた気がしています。

しかし、終了後に行われた立食形式の懇親会が地獄でした。時々話しかけてくださる方もいてうまくできたとはいえない会話を少ししましたが、酒を飲みながら席を移動して会話するということはできず、それが簡単にできるタイプの人と親睦を深めそうにないと感じて途中で帰りました。

 

このように自分が好きなこと・興味のあることを起点にして人と関わろうとすると、何かしらマイナスの感情が働いたことが多かったかな、という印象を持ちました。

 

一方で、HSPを前向きに捉える人の勉強会や飲酒しない人のランチ会などにも参加しましたが、そちらではマイナスの感情が働くことなく、最後まで楽しかったと記憶しています。

このような経験から、ワタクシは今「世間一般の人達と親睦を図るよりは一人の方がいい。ただし、前向きなHSP・飲み会嫌いタイプの人と一緒の方が楽しく有意義な時間を過ごせそう。」という仮説を立てています。

本当にそうなのかは検証が足りないので、後者の検証ができる場がもっとできると良いのですが、需要(または供給)はありますか?

 

国による「下の者」への強制・押し付けが止まらない

ここ数年、国の官僚はろくでもない連中をかばうため、証拠を改竄・隠滅したり、論理的に破綻した言い訳を考えたりし続けており、過去にはこれが原因とされる官僚の自殺が話題になったほどです(ネットで検索すればいろいろ出てきます。)。

また、マイナンバーカードが普及していないからとして、制度の見直しを図るのではなく、地方公務員にカードの取得を事実上強制するため、自治体に全職員分の申込票を作成・配付させ、取得状況を国に報告させるということが行われています。

www.tokyo-np.co.jp

このように、国による「下の者」への強制・押し付けというのが目立ってきているのが現状です。「下の者」には官僚・公務員だけでなく、一般庶民にも広がっていくのは目に見えています。

自分が国家公務員(中央省庁の官僚ではなく地方の出先機関ですが)だった頃を思い起こしてみても、

  • 入会申し込みをしていないのに組合費を天引きされる(国の機関そのものではないですが、国家公務員の集まりなので体質は類似しているものと推測)
  • 「平等」を理由に、同期全員が現住居から通えない距離の職場に配属される(居住の自由はいずこへ?)。
  • 全体研修を受講した後の感想に研修に対する意見や要望を書いたところ、書き直しを指示された。
  • 異動先の近くに宿舎があるかを担当部署に確認し、民間アパートも並行して探していたら、アパートの契約をするため有休を取得した日に宿舎に入ることが決まったとの電話があり、問答無用で入居を強制された。
  • 勤務開始前の30分間、勤務終了後1時間ぐらい、無給で職場の清掃作業を職員全員で行い、これに参加しないと朝礼で公開ダメ出しを受けた。

など、強制や押し付けだと感じることばかりで、今でも頭にくるものが多々あります。

長年与党に君臨している議員・閣僚、国家や国家公務員の組織のエライ人達は、我々を下僕・奴隷のようなものだと思っているのでしょうか。

自分が国家公務員を辞めてから10年以上経ちますが、状況は良くなるどころかむしろ悪化しているのでしょうね・・・。